
四十九日や一周忌の施主挨拶には、葬儀のときのような台本がありません。葬儀は葬儀社の進行に沿って進み、挨拶の文面もたいてい用意されていました。けれど、そのあとの法要は、段取りも言葉も施主に任されることが多くなります。法要を終えて会食の席に着き、部屋が静かになると、皆の目は施主のほうに向きます。
それが、あなたかもしれません。法要での挨拶を頼まれたのかもしれませんし、施主として、ひと言求められることが分かっているのかもしれません。ここには、自分の言葉に直して使える挨拶の例文を六篇載せました。四十九日の会食での一篇から、前触れなくひと言を頼まれた参列者の一篇まで。そのあとには、命日当日に送る言葉をまとめています。その日を一人で抱えている人に送る、短いメッセージです。例文も、登場する人も、すべて架空です。かたちだけを借りて、あなたの家の近所の通りや、料理や、日付を入れてください。
葬儀のあとの法要と、挨拶をする人
法要の挨拶は、葬儀のあとの集まりで、施主や家族が話す短い話です。長さはたいてい1分から3分。こうした集まりは、二度目の葬儀ではありません。規模は小さく、二百人ではなく二十人ほどで、ほとんどが身内です。そして、食事を中心に営まれます。自宅での昼食、料理屋の個室での会食、教会のホールでのお茶、あるいは霊園で魔法瓶のお茶を回し合う輪。雰囲気も変わってきます。四十九日のころには、一周忌ともなればなおさら、話したい思い出を抱えている人が増え、その中には笑える話もあります。
話すのは、たいてい施主です。法要を営む人のことで、葬儀で喪主を務めた人がそのまま務めることが多く、夫や妻、長男や長女、案内状を出した人がそうです。法要の初めにお坊さんの読経や法話があるなら、そこはご住職の領分です。神父さんや牧師さん、ラビが式を司る場合も同じです。家族の役目は短くてかまいません。来てくれた人にお礼を言い、故人について本当のことをひとつ話し、皆を食卓へ案内すること。友人がひと言を頼まれることもあり、それもその場でいきなり、ということが少なくありません。
四十九日から一周忌まで:宗教ごとの一年目
たいていの伝統では、一年目に節目の日がいくつもあります。日本の仏教の法要を先に、ほかの伝統をそのあとに並べました。いちばん右の列は、家族のひと言が入るとすれば、どの場面かを示しています。
| 伝統 | よく営まれる日 | 営み方 | ひと言が入る場面 |
|---|---|---|---|
| 日本の仏教 | 四十九日(初七日は葬儀の日に繰り上げて営むことも多い)、満一年の一周忌、満二年の三回忌(亡くなった年を一回目と数えるため) | 僧侶の読経による法要のあと、会食(お斎)。四十九日に納骨を済ませる家も多い。 | 施主が法要と会食の始めと終わりに短く挨拶する。献杯は親族の年長者が務めることが多い。 |
| 正教会 | 3日目、9日目、40日目、そして一周年 | 教会や墓地での追悼の祈り(日本の正教会でいうパニヒダ)、そのあと会食をすることが多い。ギリシャ正教の追悼にはコリヴァ(ゆでた小麦)が添えられる。 | 祈りのあとの会食で。 |
| カトリック | 日本では3日目、7日目、30日目、命日に追悼ミサを行うことが多いとされる。ブラジルのmissa de sétimo dia(7日目前後)、メキシコのnovenario(9日間の祈り)、イタリアのtrigesimo(30日目)、アイルランドのmonth's mind(30日目ごろ)。そして命日。 | ミサ。当日ちょうどとは限らず、そのあと会食をすることも多い。命日のミサは教会に申し込める。 | 早めに神父さんに相談を。ミサの終わりか、会食で。 |
| フィリピンのカトリック | 9日間の祈りのパシヤム(pasiyam)、40日目、1年目のババン・ルクサ(babang luksa) | 9晩の祈りのあとに会食。40日目のミサ。1年目には、喪の明けを告げる式。 | パシヤムの会食で。司祭が認めれば、40日目のミサのあとに。 |
| 中国 | 七日目の「頭七」から、七日ごとに四十九日目の「七七」まで。地域によっては百日目の「百日」。そして一周年の「周年」(台湾では「對年」) | 地域や信仰によって大きく異なる。 | 家の年長者に尋ねる。 |
| ベトナム | 家によっては49日目と100日目に小さな儀礼。そして最初の命日のgiỗ đầu | 旧暦の命日に供え物をし、そのあと家族で食事をする。giỗ đầuがもっとも大切にされる。 | 供え物が済んだあとの食事で。年長者に尋ねる。 |
| 韓国 | 仏教の家庭では、四十九日まで七日ごとに営む四十九斎(49재)。そして一周年(1주기)と、毎年の命日(기일) | 多くの家庭が、自宅で祖先祭祀の忌祭祀(기제사)を営む。プロテスタントの家庭は、代わりに自宅での追悼礼拝(추도예배)を行うことが多い。 | 家族に尋ねる。追悼礼拝なら、そのあとの食事で。 |
| ユダヤ教 | 埋葬から数える30日間のシュロシーム、一年目のうちかその終わりに行う墓石の除幕式、毎年のヤールツァイト | 墓地での除幕式で詩編と祈りが唱えられる。ヤールツァイトはユダヤ暦で数え、24時間燃えるろうそくをともすことが多い。 | 除幕式で。ラビに相談を。 |
| イスラム教 | 40日目や一周年を営む家庭もあるが、営まない家庭も多い | 営む場合は、家族と友人の集まり。決まった日に集まることについては、学者のあいだでも見解が分かれる。 | 家族の意向と、その家のイマームの考えに従う。 |
| ヒンドゥー教 | 多くの家庭で13日目、そして毎年のshraddha(祖先供養) | 13日目の儀礼と会食。shraddhaはヒンドゥー暦の命日に営む。呼び名や日取りは地域によって異なる。 | 家の祭司か年長者に尋ねる。 |
| プロテスタント・無宗教 | 一周年だけのことが多い | 会食、お墓参り、ときに記念会などの礼拝。 | 施主が決めた場面で。食事の前がよい。 |
この表は多くの家庭の様子をまとめたもので、決まりを示すものではありません。同じ宗教でも家によって違い、隣り合う村どうしでも違います。何かを決める前に、家の習わしを知っている人に聞いてください。菩提寺のご住職、神父さん、ラビ、イマーム、あるいは何でも知っているおばさんに。

法要の挨拶の組み立て方
どの法要でも、うまくいく挨拶はたいてい、次の四つの部分をこの順番で持っています。
- お礼。来てくださった皆さんに。そして、この一年家族を支えてくれた何人かには、名前を挙げて。ひと月のあいだ子供の送り迎えを代わってくれたお隣さん、銀行の窓口で一緒に順番を待ってくれたいとこ。法要なら、まずご住職に、ミサなら司式の神父さんにお礼を言います。
- 皆が知らずにいた近況。あれから何があったか。孫が生まれた、家を手放した、夕方六時になると今も玄関で待っている犬がいる。参列者の多くは、家族がどうしているかを知りたいのに、遠慮して聞けずにいます。
- 葬儀のあとに出てきた話をひとつ。葬儀は、しまわれていた話を揺り起こします。通夜の席で誰かが、あなたの知らなかったことを教えてくれる。三月に、コートのポケットからメモが出てくる。こうした話がひとつあれば、会場の皆がすでに知っている話を五つするより、ずっと心に届きます。
- これから引き継いでいくことをひとつ。その人がいたから今している何かを、飾らずに言います。最後は献杯へのお願いか、黙祷か、あるいはただ「どうぞお召し上がりください」で締めくくります。
思い出を語る挨拶なら、1分から3分が目安です。大勢の前でゆっくり読む速さ、1分あたり300字ほどで数えると、300字から900字ほど。400字詰めの原稿用紙で1枚弱から2枚あまりです。法要の始めや終わりの改まった挨拶なら、長くても1分程度にまとめるのがふつうです。料理が冷めていくのを思えば、短いほうが親切です。
法要の挨拶は、二度目の弔辞ではありません。生年月日も、経歴も、孫の名前の一覧も、もう一度聞く必要は誰にもありません。葬儀そのもののためなら、まず弔辞の書き方のガイドから、あるいは短い弔辞の例文にある1分、2分の例文から始めてください。会場ではなく、亡くなった人その人に向けた言葉は、手紙に書くのがふさわしいでしょう。亡くなった人へ宛てる手紙の書き方をご覧ください。
四十九日の施主挨拶の例文:初七日から納骨まで
四十九日の会食での施主の言葉は、簡単なものでかまいません。今日も足を運んでくれたことにお礼を言い、葬儀のあとに出てきた話をひとつして、食事の前に少しのあいだ黙祷をお願いする。以下は、四十九日の法要と納骨を終えたあとの会食で、息子が母のために話す例文です。声に出しておよそ二分半。集まったのがほとんど身内なら、このくらいの長さでも聞いてもらえます。改まった席なら、このあとの「法要と会食での施主挨拶」にある短い例文を使ってください。
本日は、母の四十九日の法要にお集まりいただき、ありがとうございます。おかげさまで、納骨も無事に済ませることができました。葬儀に加えて今日も、遠いところから足を運んでくださった方がいらっしゃいます。それがどれほど大変なことか、私も分かっていますし、母も分かっていたはずです。
葬儀のとき、私は母の話をする側になるのだと思っていました。ところが実際には、お通夜から葬儀まで、皆さんから母の話を聞かせていただく側でした。ですから今日は、そのうちの三つを、皆さんにお返ししたいと思います。
お通夜で初めてお会いした佐野さんという方が、教えてくださいました。佐野さんの目が悪くなってから三年のあいだ、母は毎週木曜日、けやき通りのバス停から佐野さんを家まで送っていたそうです。母は、そのことをひと言も口にしませんでした。ただの一度もです。
母が勤めていたパン屋の店長さんは、一月の早番でオーブンをちゃんと立ち上げられるのは母だけだった、それも歌いながら、と話してくださいました。私は三十八年間、母が歌うのを一度も聞いたことがありません。朝の五時に、ABBAを歌っていたそうです。しかも、それがとても上手だったそうです。
そして、いとこの真由美が話してくれました。十七歳で、行くあてもなく家を出たとき、最初のひと月分の家賃を送ってくれたのは母だったそうです。手紙が添えてあって、「返さなくていいからね。いつか、誰かにしてあげて」と書いてあったと。
母のことなら何でも知っているつもりでいました。スリッパも、字の癖も、私が叱られるときに限ってフルネームで呼ぶ声も。でも、私に見えていた暮らしの端のほうに、小さな親切でできた、もうひとつの暮らしがあったのです。母がそれを黙っていたのは、人に話すようなことではないと思っていたからでしょう。
私は母のようにはなれませんし、歌も歌えません。でも、これからは木曜日ごとに、私がしたとは知られないことを、誰か一人のためにひとつしようと思います。そのときには、あのバス停のことを思います。
お食事の前に、少しのあいだ、母をしのんで黙祷をささげたいと思います。何もおっしゃらなくてかまいません。皆さんがご存じの母を、思い浮かべてください。
(会場が静まるのを待って、心の中で十まで数える)
ありがとうございました。どうぞ、お召し上がりください。料理が冷めるのを、母は何より嫌がりましたから。
この例文が効く理由。参列者から聞いた話を、そのまま返しているからです。会場の人たちは、自分の思い出が声に出して語られるのを聞くことになります。そして、ただひとつの本当の驚き、歌の話が、笑いを運んでくれます。約束は小さく、具体的です。よい人間になるという誓いではなく、木曜日。黙祷は、料理が運ばれてくる前に、それぞれが胸の内にあるものを置く場所をつくります。
初七日や、葬儀からまだ日が浅い集まりなら。葬儀は数日前のことかもしれません。お礼と、話をひとつと、黙祷だけにして、1分、300字ほどに収めます。新しい話がまだ出てきていなければ、葬儀で聞いた話を、誰から聞いたかを添えて使ってください。
追悼ミサ・記念会のあとの挨拶の例文
カトリックの家庭では、最初の数週間のうちにミサがあることが多いものです。日本の教会では、3日目、7日目、30日目、そして命日に追悼ミサを行うことが多いとされます。ブラジルのmissa de sétimo dia、アイルランドのmonth's mind、メキシコでnovenarioを締めくくるミサもそうです。以下は、30日目の追悼ミサの終わりか、そのあとの昼食で、娘が父のために話す例文です。声に出しておよそ一分半。7日目のミサなら、「ひと月前」を「先週」にして、みかんのくだりは削ってください。
中村神父様、本日は父のために追悼ミサをささげてくださり、ありがとうございました。五月に病院へ父を見舞ってくださったことにも、お礼を申し上げます。父はそれから一週間、その話ばかりしていました。
母と兄たち、そして私から、皆さまにお礼を申し上げます。ひと月前、この聖堂はいっぱいで、私には皆さまのお顔がほとんど見えませんでした。今日は見えますので、きちんとお礼を言わせてください。
私たちの食事を気にかけてくださった皆さま、ありがとうございました。肉じゃがが十一鍋届きました。数えました。千春さんの豚汁のおかげで、母は最初の数日を乗り切ることができました。そして、まだ名乗り出てくださらないのですが、毎週土曜日、玄関先にみかんの袋を置いてくださった方がいます。この中のどなたかだということは、分かっています。
父の棺を運んでくださった釣りクラブの皆さま、そして夕方に母へ電話をくださった皆さま、ありがとうございました。夕方は、母にとって一日でいちばんつらい時間なのです。
父なら短くしろと言うはずなので、父についてはひと言だけ。父は、皆さまのお宅の門扉が壊れていることに皆さまが気づく前に直してしまい、そのうえで、自分ではないと言い張る人でした。
ホールに昼食を用意しています。母が作ったので、多すぎるほどあります。どうぞいらして、ゆっくりしていってください。父に門扉を直してもらったことのある方は、ぜひ母にその話を聞かせてやってください。
まず神父さんに、早めに相談を。カトリックのミサで説教をするのは司祭か助祭で、信徒が行うことはありません。教会の規則は、信徒が話すならミサの外でとしており、拝領祈願のあとに短く話すことが認められるのは、重大な理由がある場合だけです。Catholic Answersの解説(英語)にあるとおりで、そのため多くの司祭は、会食の場で話すよう勧めます。相談するのはミサを申し込むときで、香部屋で始まる五分前ではありません。朗読箇所を家族が選ぶなら神父さんと一緒に選び、お礼の言葉は最後に取っておきましょう。
同じ挨拶は、プロテスタントの記念会のあとでも、宗教的な式のない会食でも、ほとんどそのまま使えます。神父様と聖堂のくだりを削って、みかんは残してください。
一周忌の施主挨拶の例文:身内で集まる昼食会で
一周忌は、葬儀以来いちばん大きな集まりになることが多く、身内だけで営むなら、いちばん気取らない集まりにもなります。自宅での昼食、とっておきの器、テーブルの下にもぐる子供たち。以下は、その昼食会で夫が妻のために話す一周忌の挨拶の例文です。声に出しておよそ三分。一年目に訪れた「初めて」を軸に組み立てています。
皆さま、今日は妻・礼子の一周忌に集まってくださって、ありがとうございます。一年前の今ごろ、皆さんの多くはこの家にいらして、狭い居間で膝の上にお皿をのせていらっしゃいました。あのとき誰に何を言われたのか、私はひと言も覚えていません。ですから、今日こうして来てくださったことにお礼を言わせてください。そして今度は、私のほうから少しお話しさせてください。
最初の一年は、何をしても「初めて」になるよ、と何人もの方に言われました。そのとおり、初めてはやってきました。ただ、そのほとんどがこんなに小さなものだとは、誰も教えてくれませんでした。三つ、お話しさせてください。
一つ目は三月十日、礼子の誕生日でした。いつもの癖で、角のケーキ屋でレモンケーキを買ってしまい、家まで半分ほど歩いたところで、自分が何をしたのかに気がつきました。それで、お隣の山口さんのところへ持っていって、二人で台所に立ったまま食べました。山口さんは、礼子が車をバックさせて山口さんの家の塀にぶつけた日の話をしてくれました。一時間後に、おわびのレモンケーキを持って来たそうです。あの月でいちばんいい一時間でした。
二つ目は春でした。亡くなる数週間前、礼子は裏の塀に沿って球根を植えて、何の花かは教えてくれませんでした。ある朝カーテンを開けると、塀ぞいが一面の黄色でした。チューリップです。何百本も。あれは私のために植えたのだと、決めることにしました。
三つ目は八月です。孫の陽菜が、初めて言葉をしゃべりました。それが「ばあば」でした。ママでも、パパでもなく、そのとき抱っこしていたじいじでもありません。礼子が亡くなったとき、陽菜は生後五か月で、覚えているには小さすぎました。陽菜が知っているのは、仏壇の写真の礼子です。娘が毎朝、その写真を指さして教えているのです。
この一年で、礼子がいつもしていたことを、ずいぶんできるようになりました。燃えるごみの日も、もう覚えました。でも、いちばん誇らしいのは電話です。結婚してからずっと、毎週日曜日の夕方六時に、礼子はシンガポールに住む妹の早苗さんに電話をかけていました。二月、私が代わりにかけてみました。それから毎週日曜日、欠かさずかけています。話すのは、たいてい礼子のことです。早苗さんは今日、こちらへ来られなかったので、ここで言わせてください。早苗さん、日曜の六時に電話します。
台所に、礼子の料理を用意しました。私が作ったものは見よう見まねですが、娘たちのはちゃんと礼子の味です。どうぞ召し上がってください。それから、私がまだ聞いたことのない礼子の話があれば、ぜひ聞かせてください。今、集めているところなんです。
この例文が効く理由。三つの「初めて」には、どれも月と物があります。レモンケーキ、黄色い塀、ひと言。どれも、空いたままの布団の片側のような、いかにもな初めてではありません。そして、どれもが不在を、何かが届いた出来事に変えています。最後が気持ちではなく、していることで終わるのは、この一年、残された夫を心配してきた人たちが、ちゃんとやれているのかを知りたいからです。
自分の挨拶にするには。名前と呼び方を入れ替え、「ばあば」と「じいじ」を入れ替えれば、妻にも夫にも、どんなパートナーにも使えます。自分の三つの初めてを、日付の順に並べてください。つらかった初めてがあるなら、そう言ってかまいません。よい一年だったふりをする必要はありません。三回忌なら、「この一年」を「この二年」に変えます。

お墓の前で:開眼供養・納骨の挨拶の例文
一年目の、あるいは数年のうちの区切りを、お墓の前でつける家族もあります。日本では、新しくお墓を建てたときに開眼供養(宗派によって呼び名や考え方が異なります)を営み、四十九日や一周忌、三回忌に合わせて納骨することがよくあります。ユダヤ教の家庭では、墓石を献じて覆いの布を外す除幕式がこれにあたり、たいていは一年目のうちか、その終わりに行われます。服喪の七日間であるシヴァのあとならいつでもよく、習わしはさまざまで、日取りは家族がラビや墓地と相談して決めます。式では詩編と祈りが唱えられ、布は家族が選んだ人なら誰が外してもかまいません。弔辞を歓迎するラビもいますが、改革派の手引きは、代わりに短く愛情のこもった話をひとつかふたつ、と勧めています。何がふさわしいかは、ラビに尋ねてください。
南アフリカでは、ユダヤ教の家庭に限らず、多くの家族が墓石の除幕式を営みます。ほかの土地では、何も決めずに花だけを持って、命日にお墓に集まる家族もいます。以下は、祖父の三回忌に合わせて新しいお墓の開眼供養と納骨を営んだ日に、孫娘が墓前で話す例文です。声に出しておよそ二分。
寒いなか、朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。祖父なら、寒いなあとひと言言ってから、誰かに自分のマフラーを巻いてあげたはずです。
お墓に何を刻むか、家族の意見がまとまるまでに二年近くかかりました。それを読み上げて、なぜこの言葉にしたのかをお話しするよう、頼まれました。
正面に刻んだのは、家の名前ではなく、この言葉です。「まあ、座りなさい。時間はあるから」。
祖父が玄関で、私たちの誰にでもかけていた言葉です。遅れて、息を切らして、渋滞の言い訳をしながら着くと、祖父は上着を受け取って、「まあ、座りなさい。時間はあるから」と言いました。結婚式の朝、廊下を行ったり来たりしていた父にも、そう言いました。初めての受験の前の晩、私にも言いました。水道屋さんにも言っていました。
ほかの案もありました。祖母は、好きな短歌を一首、と言いました。叔父は、昔ながらの「小林家之墓」がいいと言いました。それも間違いではありませんし、この列のお墓の半分にはそう刻まれています。最後は祖母が、祖父なら言いそうなことを言いました。こんなに時間をかけていないで、座りなさい、と。それで、祖父の言葉に決めました。
この言葉がここにあるのが、私は好きです。お彼岸やお盆には、花と手桶を持った人たちが、急ぎ足でこの前を通り過ぎていきます。知らない人も、この言葉を読むでしょう。中には、少し足をゆるめる人もいるかもしれません。
おじいちゃん、お墓ができました。時間はあるから、少しのあいだ、ここに一緒に座っていきます。
刻んだ言葉を声に出して読み、なぜ家族がそれを選んだのかを話す。それが、この挨拶ならではの仕掛けです。ユダヤ教の除幕式ではラビが式の中で銘を読むこともあるので、誰が読むのかを確かめておきましょう。日本の開眼供養や納骨式なら、進め方はお寺や霊園と相談します。この挨拶がうまくいくのは、誰もがその石を見ているからです。家の名前や、戒名と没年月日だけを刻んだお墓なら、代わりに、その場所を選んだ理由を話してください。同じかたちで、母や祖母の納骨の挨拶にもなります。石に刻んだその人の言葉を読み、その裏にある話をしましょう。
法要と会食での施主挨拶、献杯の挨拶の例文
施主は一度だけでなく、場面ごとに短く話します。日本の法事では、施主が挨拶をする場面が四つあります。法要の始めと終わり、そして会食の始めと終わりです。葬儀のマナーを解説したコラムは、どれも長くても1分程度にまとめるのがふつうだとしています。これは、どこの国でも通じる心得です。以下は、母の一周忌を想定した例文です。名前を入れ替え、四十九日や三回忌なら「一周忌」をその法要の名前に変えてください。
法要の始めに(15秒ほど)
本日はお忙しいなか、母・[美代子]の一周忌法要にお集まりいただき、ありがとうございます。ただいまより、法要を始めさせていただきます。ご住職、よろしくお願いいたします。
法要の終わりに(30秒ほど)
おかげさまで、母の一周忌法要を滞りなく終えることができました。母が亡くなって一年、私たち家族がひとつだけはっきり願っていたのは、母を知る皆さまに、こうしてひとつの部屋に集まっていただくことでした。遠方からお越しくださった方も、この一年、毎週のように顔を見せてくださった方もいらっしゃいます。そのどちらにも、心からお礼を申し上げます。ささやかではございますが、別室にお食事を用意しております。どうぞお移りください。
会食の始めに(30秒ほど)
皆さま、お席にお着きいただけましたでしょうか。本日は母のために、ありがとうございます。お料理はすぐにお出ししますが、その前に、母の兄の[修]伯父に献杯をお願いしたいと思います。皆さまから母の話もうかがいたいので、それはお食事をしながらお願いいたします。伯父さん、よろしくお願いします。
献杯の挨拶(親族代表)
ご指名をいただきましたので、献杯の音頭をとらせていただきます。故人の兄の[修]です。[美代子]は、子供のころから、人の分まで料理をよそう妹でした。今日この席に皆さまが集まってくださったことを、誰より喜んでいるのは[美代子]だと思います。お酒の飲めない方はお茶で、グラスに手を添えるだけでも、頭を下げるだけでもかまいません。[美代子]をしのび、そして今日まで家族を支えてくださった皆さまへの感謝をこめて。ご唱和をお願いいたします。(グラスを胸の高さまで静かに掲げて)献杯。
(少しの沈黙)ありがとうございました。
献杯は乾杯とは違います。グラスは胸の高さに静かに掲げるだけで、合わせることはしません。声も抑えめにし、そのあと拍手もしないのが一般的です。音頭をとるのは施主ではなく、親族の年長者であることが多く、身内だけの集まりなら施主が務めることも、献杯そのものを省くこともあります。施主を務めるなら、当日よりずっと前に、おじやおばにお願いしておきましょう。
思い出を話してもらう
この一年のあいだに、母のことでふと思い出したことがあれば、母の言ったひと言でも、一緒に出かけた場所の話でも、よろしければ今日はぜひ聞かせてください。[幸子]叔母さん、母といちばん長いお付き合いでしたね。最初にお願いできますか。
最初の一人には、数日前に頼んでおきましょう。そうすれば、呼びかけたあと誰も口を開かない、ということになりません。
会食の終わりに(30秒以内)
本日は最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。葬儀のときから今日まで、何かと支えていただいたことにも、深くお礼を申し上げます。母がこの食卓を見たら、料理が多すぎると言って、皆さまに持たせて帰したと思います。お持ち帰りいただけるよう折詰をご用意しましたので、お帰りの際にお受け取りください。これでお開きとさせていただきます。どうぞお気をつけてお帰りください。そして、法事でなくても、気軽にお立ち寄りください。
誰も話さないときは。沈黙はそのままにしておきましょう。誰かを愛した人たちでいっぱいの静かな部屋は、失敗ではありません。それから、取っておいた話で自分が先に話すか、前もって頼んでおいた人のほうを向きます。それでも話したい空気でなければ、やわらかくこう言いましょう。「では、まずはいただきましょう。お話は、お茶のときにでも聞かせてください」。湯のみを手にして十分ほどたったころに、話を思い出す人は多いものです。
参列者としてひと言を頼まれたら
その場で、あるいは前日に頼まれて、参列者としてひと言話すことになったら、役目はひとつです。家族が知らなかったその人の一面を、手渡すこと。以下は、一周忌の会食で元同僚が話す例文で、声に出して1分足らずです。
木村と申します。田村さんとは、物流センターで十一年、一緒に働きました。
奥さまの由紀子さん、翔太さん、美咲さん。田村さんは毎日のように皆さんの話をしていましたので、皆さんが私をご存じなのより、私のほうがずっとよく皆さんを知っている気がします。
話をひとつだけ。毎年十二月になると、田村さんはお母さまの焼いたクッキーの缶を職場に持ってきて、共用の机に置き、ふたにメモを貼りました。「数えてあります」。誰も一枚より多くは取りませんでした。私は一度だけ、二枚取りました。お昼までには、田村さんにばれていました。何も言われませんでした。次の朝、私のキーボードの上に、紙ナプキンに包んだクッキーが一枚、メモと一緒に置いてありました。「三枚目です」。
申し上げたかったのは、それだけです。今日はお招きいただき、ありがとうございました。
- 家族に向けて話す。名前を呼び、その人が自分にとって誰だったかを一行で言いましょう。そうすれば家族にも、あなたが誰なのかが分かります。
- 話はひとつ。家族が聞いたことのなさそうなものを選びます。職場での話、サークルでの話、家族が生まれる前の話。
- 助言はしない。悲しみについても、故人なら何を望んだかについても。
- 喪失を比べない。自分の父親のことも、もっとつらい目にあった誰かのことも、別の日に取っておきましょう。
- 1分以内に座る。300字ほどです。前触れなく頼まれたなら、名前と話ひとつで十分です。
命日に送るメッセージの例文
食卓に全員がそろうわけではありません。そして、いちばんつらいはずの人、たとえば夫を亡くした母や、遠くに住む兄が、命日当日を一人で過ごすこともあります。その人たちには、どんな挨拶よりも、一通のメッセージが大きな意味を持ちます。
命日に送るよいメッセージは四つの部分でできていて、LINE一通に収まります。名前、思い出をひとつ、今日はあなたのことを思っている、そして返信はいらない。名前を入れるのは、周りの人がその名前を口にしなくなり、家族はそれに気づいているからです。最後のひと言を入れるのは、すべてのメッセージに返事をしなければならない遺族は、仕事をひとつ渡されたのと同じだからです。以下に、相手とタイミング別に8つの例を挙げます。[ ]の中は、あなたの言葉に置き換えてください。
- 夫を亡くした母へ。「お母さん、今日で一年だね。[庭のバーベキューで、誰にも火の番を譲らなかった]お父さんのことばかり思い出してる。一日じゅう、お母さんのことを考えてるよ。電話はいいからね。仕事が終わったら寄るね。」
- 友人へ。「[美香]、今日で[お母さん]が亡くなって一年だよね。[駅前のパン屋]の前を通るたびに、今でもお母さんのことを思い出すよ。今日は美香のこと、ずっと考えてる。返事はいらないからね。」
- きょうだいへ。「今日は父さんのこと、それから兄さんのことを考えてる。[狭い駐車場で車をバックさせる]たびに、父さんの[「オーライ、オーライ」]が聞こえるんだ。返信はいらない。ただ、この日を一人で過ごしてほしくなかっただけ。」
- 四十九日に。「今日で[静江さん]が亡くなって四十九日ですね。朝からずっと、[私たちの結婚式で大笑いしていた]静江さんを思い出しています。ご家族の皆さんのことを思っています。お返事は気になさらないでください。」
- 一周忌に。「今日で一年ですね。この一年、[康夫さん]の話を誰かから聞かない週は、ほとんどありませんでした。今週は[サイドブレーキをかけたまま海まで運転した]話でした。あなたのことを思っています。返信は不要です。」
- 遠くに住む家族へ。「今日は[静江さん]のこと、みんなと一緒にしのびたかったよね。[ウェディングケーキと犬]の話は、食卓でちゃんとみんなに話すからね。終わったら、みんなの写真を送ります。遠くにいるあなたのことも、ずっと思ってるよ。」
- 同僚へ。「今日で[お父さま]が亡くなって一年ですね。机にコーヒーを置いておきました。お昼に散歩でもしたくなったら、私は空いています。」
- 家族からの、SNSへの投稿。「[父・康夫]が亡くなって、今日で一年になります。今も朝は[湯のみを二つ出してしまいます]。葬儀のあとも、ずっと気にかけてくださった皆さん、ありがとうございました。[父]の思い出があれば、ここに書いていただけたらうれしいです。」
命日に言われるとつらい言葉。「時間が解決してくれるよ」「もうだいぶ落ち着いたでしょう」「気持ち、すごく分かるよ」。どれも、遺族に同意を求めています。同意することがひと仕事になる、その日に。
送るのは朝、その日のうちに。できれば、本当にするつもりのことをひとつ、曜日をつけて申し出てください。「木曜日に夕ごはんを持っていくね」。スマホを置く前に、来年の日付をカレンダーに、その人の名前と一緒に入れておきましょう。来年、それを書き留めている人は、今年よりずっと少なくなっています。旧暦やユダヤ暦で命日を数える家族なら、来年の日付を聞いておきます。命日より先に年末年始が来るなら、同じようなメッセージがそのときにも支えになります。喪中の人に送る言葉の文例は、喪中の正月の過ごし方のページにまとめています。
来られなかった親族のために
どの集まりにも、しのばれる本人のほかに、来られなかった人がいます。海外に住むおば、体調がすぐれず来られない祖父。挨拶をするなら、その人たちにも、あなたの声で届けることができます。皆が帰ったあとに録音して、Goodbye Appの手紙として送ってください。Goodbye Appの手紙は、あなたが書いた言葉にひとつの録音を添えて、あなたが選んだ人たちにメールで届けるものです。送る日と時刻はあなたが選べるので、今夜でも、明日の朝でもかまいません。台所の物音まで拾わずに声をきれいに録りたいなら、自分の声を録音して家族に残す方法に簡単なやり方があります。このアプリは、集まりの場で何かを再生することはできません。その場にいなかった人たちのためのものです。
先に書いておくこともできます。命日のあとの静かな一週間に、この一年のことを数行、連れ合いを亡くした親に、あるいはきょうだいに書いて、次の命日が近づく週に届くよう予約しておくのです。手紙は最長30年先まで予約できます。一通の手紙が届くのは一度だけなので、来年の命日にはその年の一通を、その翌年には別の一通を用意します。
費用はかからず、15の言語に対応し、ウェブでもAndroidでも使えて、送られるまでは非公開です。任意の無操作の安全装置を使う場合は、ログインのない日が3日から45日のあいだで決めた日数に達した時点で、手紙が予定より前に送られることもあります。そして、いつかあなたの家族が営むことになる命日のことを考え始めたなら、「こんなときに開けて」の手紙が、穏やかな始め方になります。
よくある質問
命日には、何と言えばいいですか。その人の名前と、その人の思い出をひとつ、そしてその日を抱えている人のことを思っている、と。それで十分です。家族はあなたの知恵を必要としていません。その日付を覚えている人がほかにもいる、と知りたいのです。
集まりは必ず開かなければいけませんか。いいえ。静かにその日を過ごす家族はたくさんあります。お墓参り、きょうだいどうしの電話、故人が好きだった道の散歩、あるいは何も予定しないこと。決まった日に集まらないムスリムの家族も多く、ほかにもそういう家族はたくさんあります。集まりは日付を心にとどめるひとつの方法で、愛情の物差しではありません。
四十九日では、誰が挨拶をしますか。多くの家庭では施主です。息子や娘、夫や妻、あるいは皆を呼び集めた人。施主に頼まれれば、ほかの人も話します。
法要の挨拶は、どのくらいの長さがいいですか。思い出を語る挨拶なら1分から3分、ゆっくり1分300字で数えて300字から900字ほどです。法要の始めや終わりの改まった挨拶は、長くても1分程度に。参列者がひと言話すなら、1分以内に収めます。
笑ってもいいのでしょうか。はい。たいていの会場は、葬儀のときより笑いを受け入れる準備ができています。笑いは、持ってきた冗談からではなく、その人から生まれるようにしましょう。そしてそのあとに本当のことをひとつ添えて、会場がゆっくり落ち着けるようにします。
命日は、亡くなった日から数えますか、葬儀の日から数えますか。ほとんどの伝統では、亡くなった日から数えます。日本の法要も命日を基準にし、当日が難しければ、その前の休日に営むことが多いようです。ユダヤ教のシュロシーム(最初の30日)は埋葬の日から数え、カトリックのmonth's mindはどちらから数えることもあります。旧暦やユダヤ暦の日付は毎年動くので、今年の日付は、その家のお寺や神父さん、ラビ、年長者に尋ねてください。
自分の代わりに、誰かに読んでもらってもいいですか。はい。挨拶を、大きな文字で全文書き出しておきます。始める前に、信頼できる人に控えを渡しておけば、声が出なくなったときに続きを、あるいは全部を代わりに読んでもらえます。最初にそう言ってもかまいません。「兄が代わりに読みます」。泣かずに弔辞を読むコツは、一年たっても同じように役に立ちます。
命日のことを、SNSに投稿してもいいですか。自分の家族の喪失なら、その日に投稿すれば、皆が思い出を寄せる場所がひとつできます。ほかの人の喪失なら、最初の投稿は家族に任せ、自分で投稿を始めるより、家族の投稿にコメントしましょう。
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