記事一覧

葬儀スピーチ · 読了12分

お別れの会のスピーチ例文:形式の中で、その人だけの話をする3篇

型どおりではない弔辞の全文3篇と、本当の材料が見つかる10分間の棚卸し、そして笑いがふさわしいときと、ふさわしくないとき。

執筆:Goodbye Appチーム · 2026年9月21日

暗い木の机で、コーヒーと革の手帳のそばに、手で手紙を書いている人
写真:cottonbro studio(Pexels)

今夜、弔辞の例文を四つも五つも読んで、どれも同じ人を送っているように見えたのではないでしょうか。心優しく。家族思いで。いつも誰かのために。言葉が間違っているのではありません。ただ、誰のことでもないのです。そして会場は、知らない人に向かって、礼儀正しくうなずきます。

以下に、その反対をいく三篇を、すべて全文で載せます。祖父へ、兄へ、友人へ。ここで想定しているのは、告別式で代表の方が読み上げる正式な弔辞ではなく、お別れの会や偲ぶ会のように、その人らしい話をすることが自然に受け入れられる場です。日本では、式の形そのものが敬意のあらわれですから、型を壊すのではありません。ご家族が思い描いている型の中で、本当のことを、具体的に言う。三篇はそのための例で、一度しか起きなかったことだけでできています。かたちを見るために読んで、そのあと、棚卸しの問いでご自分の材料を探してください。

どれも似て聞こえる理由

例文を並べているページの多くは、葬儀の場で何かを売っている人たちが出しています。墓石、会葬礼状や印刷物、あるいは、かわりに話す仕事です。出来合いの文例集は、悲しみの中にいる家族に見つけてもらうにはよい方法ですが、あなたにしか書けないものを書く助けには、あまりなりません。

ですから、助言はどれも同じところに集まります。ご参列のお礼を述べ、生い立ちを順に並べ、最後は旅立ちの詩で締める。失敗しようがなく、そして届きようもない構成です。

その人を知っていたのは、あなたです。仕事はただひとつ、すでに頭の中にあるものを取り出して、四分に収めることだけです。

弔辞の書き方と組み立て方のガイドに、基本の順番をまとめてあります。このページで扱うのは、その中に何を入れるかです。

その人らしさは、どこから来るか

書いた文をひとつずつ選り分ける問いが、ひとつあります。この文は、そのまま別の人のお葬式でも言えてしまうか。言えてしまうなら、それは詰め物です。「優しい人でした」は、世界中のどのお葬式でも通ります。「車に、他人のための傘をもう一本積んでいる人でした」は、たったひとりのものです。

その試験を通った文には、同じ四つの材料が入っています。固有名詞。通りの名前、車、銘柄。数字。四十分、三度の日曜、昭和四十九年。口調まで思い出せるほど、何度も言っていた言葉。そして、机に置ける物。抽象は、人の種類を説明します。物は、その人を説明します。

この一覧に入っていないものにも気づいてください。年表です。もっと長い年月を扱ってほしかった、と願いながら葬儀を出た人は、いまだかつていません。

十分間の棚卸し

書き始める前にやってください。十分だけ時間を計って、最初に浮かんだもので答えます。手直しはしません。今は掘る作業であって、組み立てる作業ではありません。

  • その人の手は、何をしていましたか。職業ではありません。手です。こねる、配線を直す、髪を編む、ハンドルを指で叩く。
  • いつも言っていた言葉は何ですか。家族どうしが今も真似をして言い合う、あの語順のままの一言です。
  • 捨てられなかったものは何ですか。誰にでもひとつあります。そして、それが値打ちのあるものだったためしがありません。
  • どの言い争いに、いつも勝っていましたか。そして、どうやって。正しさで、粘りで、それとも笑わせることで。
  • 何をされると、腹が立ちましたか。この中のひとつは、やわらかく使うことになります。たいてい、最初に恋しくなるのはそこです。
  • いちばん小さくて、恋しくなるものは何ですか。小さく。もっと小さく。

この十分は、書き出しの一行を一週間にらんでいるより、多くの材料を生みます。そうしたら答えをひとつ選んで、それに話全体を仕切らせてください。

やわらかな日の光が差す静かなホールに並んだ、誰も座っていない木の椅子
写真:Jan van der Wolf(Pexels)

一:物から始める

祖父へ、孫から。三つ目の答え、捨てられなかったもの、から組み立てています。

祖父は、物置に菓子の缶をひとつ置いていて、蓋に鉛筆で「使える」と書いてありました。火曜日に開けてみました。中身は、ひとつかみのワッシャー、ヒューズがひとつ、扉のない蝶番がひとつ、この世のどこも開かない鍵が三本、緑の園芸用のひも、そして底に完全に溶けついた飴玉がひとつ。

祖父は、物を捨てない時代に生まれて、そのまま捨てない人で通しました。私が十二のとき、通学かばんの肩ひもが取れて、母は新しいのを買おうと言いました。祖父は何も言わずに物置へ行き、十一分後に、犬の首輪から外した留め具を持って戻ってきました。台所の机で、顔も上げずに直しながら、いつもの言葉を言いました。「壊れてはいない。まだ直していないだけだ」。あのかばんは、そのあと四年使いました。

鍵のうち二本は、何の鍵か分かっています。一本は、昭和六十一年に売られた、小路にあった家の裏口。もう一本は、三十年並んで働いて、私が生まれる前に亡くなった、江藤さんという方の物置の鍵です。祖父は、他人の鍵を預かっていました。扉が戻ってくると思っていたからではありませんし、感傷からでもありません。感傷だと言われたら、誓ってでも否定したはずです。誰かが預かっておかないといけなくて、それなら自分でよくて、缶にはまだ場所があったからです。

そして、あの缶は、私がずいぶん大人になるまで気づかなかったことですが、祖父の人の扱い方そのものでもありました。叔父が行き場をなくした年、祖父は車で迎えに行き、荷物を後ろに積んで、そのことについて何も言いませんでした。叔父は、奥の部屋で二年暮らしました。あの家で、許すという言葉が声に出されたことは一度もありません。誰も、必要としなかったからです。

缶は、中身を分けたりしません。このまま棚に置きます。ただ、お帰りの際に、祖父を知っていて、何か手に取りたいと思われた方は、ひとつだけ持っていってください。全員には行き渡りません。それも、祖父と同じです。そしてもし、この一年、肩ひもの取れた何かが、あるいは肩ひもの取れた誰かが、あなたのところに来たら、祖父の声で聞いてください。壊れてはいない。まだ直していないだけだ。

効いている理由。缶がすべての仕事をしています。最初の三十秒で可笑しくて、そのあとでその人の人柄そのものだったと分かるので、笑いと要点が、同じひとつの物になります。結びの頼みごとが、帰り道の手に、することをひとつ渡しています。

二:その人の言葉で

兄へ、弟から。二つ目の答えから組み立てています。失った人が自分より言葉の上手な人だったのなら、この形を借りてください。

兄のことを、私が説明するのはやめます。こういうことは兄のほうがうまかったので、かわりに、兄のものをいくつか持ってきました。

兄は本を貸す人で、しかも書き込む人でした。これは罪です。おまけに鉛筆でやるので、まともに怒ることもできません。ここに四冊あります。一冊の余白、人は自分の最悪の一日の総和になる、という一文の横に、こう書いてあります。「うそだ。続けろ」。もう一冊、ほかに何も印のないページの真ん中に、「もっと年をとってから、ここをもう一度読め」。私はもう年をとりました。日曜日に読み返しました。垣根を直している男の話でした。

三つ目の書き込みは短くて、戸口に立ったまま中に入らない男の描写の横にあります。「入れ、臆病者」。この一週間、そのことをずっと考えています。そして同じ本の裏表紙の内側には、その本を貸した相手の名前が、鉛筆で並んでいます。十四人。そのうち九人が、今日この会場にいらっしゃいます。返した人の横には印があって、返さなかった人の横には何もありません。兄のことですから、あれは苦情ではありません。あれは計画です。

留守番電話の応答メッセージは、何度言っても変えてくれませんでした。「兄です。たぶん運転中です。用件はそのまま言ってください」。この二十年、うちの家族は、駐車場の隅から、そのまま用件を言い続けました。兄はいつもかけ直してきて、ときには夜中の零時半に、文の途中から話し始めるのです。

兄が家を出るとき、冷蔵庫に私あての書き置きを残していきました。私は十七で、何もできなかったからです。あの字で五行。もう見ることはないと思っていたのに、この一週間で、パイナップルの形をした磁石の裏から出てきました。四行は給湯器のことです。五行目にはこうあります。「日曜に母さんに電話しろ。用があるときだけじゃなく。母さんは、その違いが分かる」。

兄から来た最後のメッセージはごみ出しの日の話で、九文字しかなくて、この一週間で読み返した回数は、正直に申し上げるつもりがありません。こう終わっています。「大丈夫。考えすぎるな」。私はこれから一生、考えすぎます。そして、日曜に母に電話します。

効いている理由。話し手が、自分を脇にどけています。人物像を描くのは引用のほうで、それが本当に兄のものであるために、会場は一分のあいだ、亡くなった人の声を聞きます。その一分のあいだ、どんな声だったかを思い出そうと努める必要が、誰にもなくなります。

三:笑いが起きる一篇

友人へ、友人から。五つ目の答え、腹が立ったこと、から組み立てています。

真由は、方向感覚というものがありませんでした。ここは正確に申し上げたいのです。自分でそう言う人はたいてい謙遜ですが、真由は違いました。私の三十歳の誕生日に、隣の市まで運転していって、園芸店の外から電話をかけてきて、どうしてこんなに静かなの、と聞いたのです。十九年この街に住んでいて、環状線のことを最後まで「ぐるっと回るやつ」と呼んでいました。カーナビはありました。言い争って、勝っていました。ナビが曲がれと言うべきだったと思うところで、曲がるからです。

見事だったのは、その自信です。真由が道に迷ったことはありません。ほかの全員が、間違った場所にいるのです。五十分遅れて着いて、だいたいの位置に車を停めて、瓶を二本抱えて、謝罪はいっさいなしに入ってきて、九十秒後には、その遅刻を、その晩いちばんの見どころに変えてしまう。結婚式でそれをやるのを、私は見ました。

そして毎回、着いたあとに同じことをしました。主催者を探すのでもなく、私を探すのでもありません。会場を一周して、いちばん居心地の悪い思いをしている人、少し離れて立って、飲むのをやめた杯を持っている人を見つけます。その隣に、正面からではなく、半分そっぽを向くように斜めに腰を下ろして、ばかげたことを言うのです。四十分後には、その人は笑っていて、真由はまだそこにいます。人生のあらゆることに遅れた人が、そこにだけは一度も遅れませんでした。

そして。三年前、私は大人になってからいちばんひどい夜を過ごして、誰にも連絡しませんでした。私はそういう人間だからです。真由は、九時ごろにそれを聞きました。車に乗りました。そして、これは本当のことですが、最初の一時間半をまるごと逆の方向に走って、名前も言えないどこかのサービスエリアのあたりで引き返して、午前二時二十分に、コンビニのサンドイッチを持って私の家の戸を叩きました。役に立つことは、ひとつも言いませんでした。そして木曜日までいました。休みの手続きはしていません。ただ、行かなかったのです。

ですから、私に分かっているのはこういうことです。真由は住所ひとつ探し当てられなくて、人については、ただの一度も迷いませんでした。一度もです。誰が自分を必要としているかが分かって、そして来ました。下手くそに、すぐに、間違ったサンドイッチを持って。

効いている理由。笑いと讃辞が、同じひとつの事実になっています。前半が面白くて後半が真面目、という組み立てではありません。あの形は、聞いている側がつまずきます。最初の一分で皆が笑った欠点が、四分目には、その人の人柄の証拠になっているのです。

笑いがふさわしくないとき

笑いのある一篇は、三つの中でいちばん難しいものです。そして、これをしない場があります。

  • 突然の別れのあと。衝撃からまだ数日しか経っていない場には、足もとの床がありません。あたたかさはよくても、笑いは違います。
  • お子さんを送るとき。これが助けになる形は、存在しません。
  • ご家族の中に隔たりがあるとき。座席のあいだに争いが走っているなら、冗談は、どちらかに味方した合図として届きます。
  • その土地やその集まりで、そうしないとき。日本の告別式のように、弔辞の形が決まっている場では、その形そのものが敬意です。崩せば、その人らしいのではなく、配慮が足りないと受け取られます。答えは、形の中に、より本当の一文を置くことです。

場がふさわしいときでも、試験が三つあります。説明が要る冗談は、切ってください。面白いと思っているのが自分だけなら、切ってください。生きている人が的になっているなら、切ってください。そのうえで、いちばん近しいご遺族に、触れてほしくないことはあるか、聞いてください。

提灯の下に伸びた庭の長いテーブルで、杯を掲げて乾杯している友人たち
写真:Martine Mars(Pexels)

正直に、むごくならずに

何も認めない弔辞は、信じてもらえません。その場にいる全員が、難しかった部分も含めて、その人を知っていました。そこだけ塗りつぶした肖像は、話し手が演じている、と会場に伝えてしまいます。

線引きは、見かけより簡単です。正直とは、名指しして、そのまま抱えることです。頑固でした。じっとしていられない人でした。自分の結婚式にまで遅れてきました。むごいとは、その難しさを説明したり、正当化したりすることです。証拠を並べ始めた時点で、弔辞ではなく、判決を述べることになります。

一文で言って、先へ進んでください。長さが、そのまま合図になります。そして、会場がまだ知らない事実を持ち出さないでください。本当に難しい人だったのなら、正確さを狙ってください。「楽な人ではありませんでしたし、そうでないように申し上げたら、本人が心外に思うはずです」。

ほかの人にも話してもらう

要約ではなく人の声に聞こえる、いちばん簡単な方法は、自分ひとりが証人であることをやめることです。五人に、狭い問いをひとつ送ってください。「どんな人でしたか」は、形容詞しか返ってきません。こう聞きます。ある午後のことを、ひとつ教えてください。

そのうち二つを、送ってくださった方のお名前を読み上げながら引用として織り込むか、二人に九十秒ずつ話してもらってください。四つの声は、一人が一生を背負うより、豊かな肖像になります。

何人かが話すのなら、ご自分の分は短くしてください。短い弔辞の例文は、三分以内の枠のために作ってあります。どの長さに落ち着いても、当日の前に二度、声に出して読んでください。不意を突いてくる一文は、身構えていた一文ではないからです。そのための方法は、泣かずに弔辞を読む方法のガイドにあります。

いちばん個人的な版

三篇が何をしているか、見てください。ワッシャーの入った缶から、ひとりの男の人を組み立て直す孫。よその本に残った兄の字を読み上げる弟。二度と聞けない声の真似をする友人。どれも組み立て直しです。つらい一週間のあいだに、ただ本人に聞けたらと願っている人の手で、組み立てられています。

そこから、型どおりに聞こえようのない、ただひとつの版が見えてきます。本人が、元気なうちに自分で録音したものです。調子を推し量る必要も、いつも言っていた言い回しを探し回る必要もありません。そこに、いつもの場所に間を置いたまま、残っているからです。

この三篇を読んで、ご自分の大切な人のことを考えたのなら、Goodbye App で自分の声を数分だけ録音できます。無料で、ウェブとAndroidで使えます。手紙を書き、そこに音声を録り、受け取る方を指定して、送られる日を、三十年先までのあいだで決めます。選んだ日にメールとして届き、その日まで誰にも見られません。届く先は式場ではなく、ひとりの人です。式のあいだに流したり、合図で再生したりできるものではありません。

自分の葬儀に向けたメッセージの録音では、残されたご家族が実際にどう受け取るかを扱っています。文章のほうで残したい方には、自分の弔辞を生前に書くに、自分で書いた例文が三篇あります。

よくある質問

型どおりでない弔辞は、失礼にあたりませんか。正確であれば、あたりません。失礼なのは、誰のことでも通ってしまう弔辞のほうです。ただし日本では、場によって許される幅が違います。告別式の弔辞は形が決まっていることが多く、お別れの会や偲ぶ会なら、その人らしい話のほうが望まれます。ご家族と、その場の習わしがその形で構わないかを確かめてから、好きなだけ具体的にしてください。

長さはどのくらいですか。葬儀の速さで読んで、三分から四分です。自分で思うより、ずっとゆっくりになります。短い弔辞のガイドに、一分あたりの文字数をまとめてあります。

その人のメッセージを読み上げてもいいですか。法律というより、思いやりの問題として、強く届くことがあります。私的なことと、その場に座っている第三者についてのことは、外してください。これは法律の助言ではありませんし、亡くなった方の私的なやりとりをどう扱えるかは、国によって違います。

面白いことが言えません。それなら、言わないでください。三篇のうち、笑わせようとしているのは一篇だけです。ほかの二篇で口もとがゆるむのは、ただ正確な細部のせいです。具体的であることは、いつでも面白さに勝ちます。

この三篇を、そのまま使ってもいいですか。骨組みを持っていってください。文章ではなく。ひとつの物、いくつかの引用、裏返る欠点。それは自由に使えます。菓子の缶と、余白の鉛筆と、逆の方向へ走った道は、実在しなかった人たちのものです。継ぎ手を借りて、釘は借りないでください。

この記事をシェア

メールWhatsApp

Every person has a legacy®

開始